2005年 12月 01日
『徐福と伝説そして、日本の夜明け』 |
前回からの続きで、今回は「徐福」について少し御紹介します。
私が「徐福」という名を初めて聞いたのは、韓国に住んでいる時でした。夫は、知っていたようですが・・韓国済州島を旅行で訪れた際に「徐福」がこの前を通ったと伝えられる有名な滝を見に行き、そこで初めて「徐福」という名を聞いたのです。でも、その時には日本に30もの徐福伝説があるとは思いもよりませんでした・・
では「徐福」とは、一体どういう人物なのでしょうか?
徐福とは、中国秦の時代の医薬を扱う「薬方士」。秦の始皇帝の命により不老不死の仙薬を求めてお供数千人を連れて、東の方へ航海に出たと「史記」には記されているそうです。しかし、一度秦に戻ったものの、その後は二度と戻らなかったと「史記」にはあるそうなのです・・その徐福が、上陸したとされている場所が日本には30ヵ所もあるのです。佐賀もその一つ。中国では史記にも登場する徐福ですが、日本では「伝説の人徐福」なのです。それで、「徐福伝説」と言われているようです。徐福に関して、様々な説があり、その一つには、始皇帝からいただいた莫大な資金を持って海外に移住してしまったのではないかなどなど・・色々とあるようです。
「徐福長寿館」のパンフレットには「佐賀市と連雲港(徐福の出身地)とのあまりに似かよった自然や銅鏡の同一性、稲作の伝来時期と一致し、その100年後に吉野ヶ里が出現していること等々・・日本の夜明けがここ佐賀の地から始まったとしても不思議ではないのです」とありました。稲作を吉野ヶ里にももたらしたのは、徐福なのでしょうか?
もしかしたら、徐福を研究していったらその先にあるものは、とてつもなく大きなものなのかもしれませんね。徐福研究家が多いのも、わかるような気がしました。
ところで、館内に気になる写真がありました。それは、徐福の子孫とされる方のお写真で実際にこちらの「徐福長寿館」へもいらしたことがあるそうなのです。資料で見ると、徐福の出身地連雲港を始め、佐賀、鹿児島もちろん伝説がある各地でも徐福のお祭りがあり、子孫の方は何度も日本にいらしたことがあるそうです。
「徐福長寿館」は、薬草にもちょっと詳しくなれるところだったりします。庭には、薬草がいっぱいでした。館内は広くはないのですが(解説のビデオは充実)お茶をいただけたりで、ほっとできました。そして、素晴らしいのは学芸員の女性でした。解説も丁寧でしたし、とても感じのいい方でした。その方がいれて下さったお茶はとても美味しくて感激しました。
そうそう、前回掲載した写真ですが、山の紅葉の写真は、金立山で徐福がそこで不老不死の薬草を見つけたと伝えられているそうです。うっかりメモをなくしてしまったのですが、イチョウが写っている神社も徐福にゆかりがある神社だとか。いつの間にか、徐福に導かれていたのかしら?そう言えば、この辺り、何だか見覚えがあると思っていたのですが、一年前高速の「金立サービスエリア」で偶然休憩をした際に、そこから出て池を見に行ったりしました。結局時間が無くて、奥には何があるのかしらと思いつつ、池の向こうへは行けれなかったのですが、その向こうには今回訪れた「徐福長寿館」があったのです。そんなことがあってから、すぐに中国と韓国で暮らし、韓国済州島で徐福という名を聞き、そして帰国してバルーンフェスタで訪れた佐賀で「徐福長寿館」へ来る事になった私達。既に一年前から徐福に導かれていたのかもしれません。
徐福は、佐賀金立山で不老不死の薬草を見つけて日本に定住したとの説もあるそうです。もしかしたら、あなたの隣にいらっしゃる方が永遠の命を手に入れた徐福かもしれませんよ☆
私が「徐福」という名を初めて聞いたのは、韓国に住んでいる時でした。夫は、知っていたようですが・・韓国済州島を旅行で訪れた際に「徐福」がこの前を通ったと伝えられる有名な滝を見に行き、そこで初めて「徐福」という名を聞いたのです。でも、その時には日本に30もの徐福伝説があるとは思いもよりませんでした・・
では「徐福」とは、一体どういう人物なのでしょうか?
徐福とは、中国秦の時代の医薬を扱う「薬方士」。秦の始皇帝の命により不老不死の仙薬を求めてお供数千人を連れて、東の方へ航海に出たと「史記」には記されているそうです。しかし、一度秦に戻ったものの、その後は二度と戻らなかったと「史記」にはあるそうなのです・・その徐福が、上陸したとされている場所が日本には30ヵ所もあるのです。佐賀もその一つ。中国では史記にも登場する徐福ですが、日本では「伝説の人徐福」なのです。それで、「徐福伝説」と言われているようです。徐福に関して、様々な説があり、その一つには、始皇帝からいただいた莫大な資金を持って海外に移住してしまったのではないかなどなど・・色々とあるようです。
「徐福長寿館」のパンフレットには「佐賀市と連雲港(徐福の出身地)とのあまりに似かよった自然や銅鏡の同一性、稲作の伝来時期と一致し、その100年後に吉野ヶ里が出現していること等々・・日本の夜明けがここ佐賀の地から始まったとしても不思議ではないのです」とありました。稲作を吉野ヶ里にももたらしたのは、徐福なのでしょうか?
もしかしたら、徐福を研究していったらその先にあるものは、とてつもなく大きなものなのかもしれませんね。徐福研究家が多いのも、わかるような気がしました。
ところで、館内に気になる写真がありました。それは、徐福の子孫とされる方のお写真で実際にこちらの「徐福長寿館」へもいらしたことがあるそうなのです。資料で見ると、徐福の出身地連雲港を始め、佐賀、鹿児島もちろん伝説がある各地でも徐福のお祭りがあり、子孫の方は何度も日本にいらしたことがあるそうです。
「徐福長寿館」は、薬草にもちょっと詳しくなれるところだったりします。庭には、薬草がいっぱいでした。館内は広くはないのですが(解説のビデオは充実)お茶をいただけたりで、ほっとできました。そして、素晴らしいのは学芸員の女性でした。解説も丁寧でしたし、とても感じのいい方でした。その方がいれて下さったお茶はとても美味しくて感激しました。
そうそう、前回掲載した写真ですが、山の紅葉の写真は、金立山で徐福がそこで不老不死の薬草を見つけたと伝えられているそうです。うっかりメモをなくしてしまったのですが、イチョウが写っている神社も徐福にゆかりがある神社だとか。いつの間にか、徐福に導かれていたのかしら?そう言えば、この辺り、何だか見覚えがあると思っていたのですが、一年前高速の「金立サービスエリア」で偶然休憩をした際に、そこから出て池を見に行ったりしました。結局時間が無くて、奥には何があるのかしらと思いつつ、池の向こうへは行けれなかったのですが、その向こうには今回訪れた「徐福長寿館」があったのです。そんなことがあってから、すぐに中国と韓国で暮らし、韓国済州島で徐福という名を聞き、そして帰国してバルーンフェスタで訪れた佐賀で「徐福長寿館」へ来る事になった私達。既に一年前から徐福に導かれていたのかもしれません。
徐福は、佐賀金立山で不老不死の薬草を見つけて日本に定住したとの説もあるそうです。もしかしたら、あなたの隣にいらっしゃる方が永遠の命を手に入れた徐福かもしれませんよ☆
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徐福長寿館
住所:佐賀市金立町大字金立1197-166
TEL:0952-98-0696
金立サービスエリア(上り線)
住所: 佐賀市金立町五本黒木1197-232
TEL: 0952-98-1105
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by woshicahori
| 2005-12-01 14:19
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